上祐史浩はなぜ逮捕されなかったの?理由は麻原に反発していたから?
地下鉄サリン事件の首謀者であった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行されたということで大きなニュースになっていますね。
ほかの死刑囚の死刑も執行されたそうです。今回のオウム真理教の死刑囚の一斉執行については賛否両論があるみたいです。
そんななかで、元オウム真理教の幹部だった上祐史浩氏が会見を開いたそうです。上祐史浩氏は教団の広報のような感じで当時テレビによくでていた気がしますが、なぜほかの信者と同じように逮捕されなかったのか気になったので調べてみました。
上祐史浩とはどんな人物なのか?
上祐史浩氏といえば、「ああいえば上祐」という言葉が当時話題になっていましたね。爽やかなルックスと弁舌がたつということで、教団の広告塔のような感じで世間に情報を発信していました。早稲田でディベートサークルに所属し、喋り方を勉強していたということですごい頭も良かったみたいですね。
大学在学中に「オウム神仙の会」に入会すると頭の良さと口の達者さでどんどん組織内ので地位を高めていき、5年後には「尊師」に次ぐ位階の「正大師」に昇進したそうです。麻原彰晃氏に「NO」と言える数少ない幹部だったそうです。
地下鉄サリン事件のあとはオウム真理教の広報として、口八丁でいろんなでまかせのようなことをいい続け、メディアによって「ああいえば上祐」という言われるようになりました。
1995年には国土法違反事件で有印私文書偽造で逮捕され3年の実刑判決をうけます。刑期を終え、出所後は「ひかりの輪」という宗教組織を設立します。
公安調査庁は「ひかりの輪」をオウムの後継団体として今も麻原彰晃死刑囚の影響が及んでいるとしてマークしているそうです。
上祐史浩はなぜ逮捕されなかったの?
地下鉄サリン事件という重大な事件を起こした教団の幹部であり、メディアにもたくさんでていたのになぜ逮捕されなかったのでしょうか。
疑問に思っていたのですが、どうやら地下鉄サリン事件については関与していなかったということで、地下鉄サリン事件関係の罪で逮捕されることはなかったようです。事件が起きたとき上祐史浩氏はロシア支部にいて、オウム真理教の布教をしていたそうです。
ちなみにこのロシア支部への異動については左遷ではないかといわれていたらしいです。反発して教祖と不仲だったのかもしれませんね。地下鉄サリン事件がおきる3年前からロシアにいたということで、地下鉄サリン事件の関与がないということで逮捕されることはなかったらしいです。
上祐史浩氏が日本にもどったのは地下鉄サリン事件が起きたあとで、麻原彰晃が広報活動をしてほしいということで呼び戻したそうです。
上祐史浩の現在は?
現在は「ひかりの輪」の代表として宗教活動をしているそうです。
結婚と子供がいるのかも気にったのですが、このあたりの情報は全然ないみたいですね。出家したので結婚とかはしないのかもしれませんね。
上祐史浩氏のひかりの輪については2013年に宗教団体ではなく、思想哲学の学習教室に改革する規約を採択したそうです。表向きにはカルチャースクールみたいな感じを装っているみたいです。
麻原彰晃死刑囚の死刑執行で今度、ほかの団体がどう動くのかにも注目したいところですね。